「硫黄島」カテゴリーアーカイブ

沖縄戦、姫百合部隊     青山繁晴さんの演説

青山さんの演説の一部です。

 

硫黄島がアメリカ軍にとられたその朝に、米軍は次に沖縄の慶良間諸島に上陸して沖縄戦が始まったのです。

そして沖縄戦でもやっぱりこの首都圏からもたくさんの普通の人が行かれて、頭が割れ、はらわたが飛び出しました。

それを看護してくれたのは、沖縄のまだ恋も知らなかった15,6の女の子です。

沖縄の学徒看護隊というのは沖縄に全部で9つあったのです。姫百合部隊だけ映画にもなり観光地にもなりましたが、本当は沖縄で一番エリートの女学生が姫百合であって、本当は沖縄県立第二高等女学校、第三高等女学校、私立の女高等学校、農業専門の女学校が全部で9つあったのです。

残りの8つは沖縄でも観光地になっていないから、忘れ去れているんです。そのうちの1つの白梅の塔、沖縄県立第2高等女学校の自決壕は観光地になってないから昔のままなのです。

縁あって僕は37年間お参りしています。僕が行った時でも、あるいはみなさんが沖縄観光のついでに行ってていただいて、その自決壕に入っていただくと僕だけじゃなくて、たくさんの人が感じるのは、お下げ髪やおかっぱ頭の女の子が触ってくるんです。

僕は37年間お参りしていてまだ怖いです。しかし僕たちは怖いだけだけど、触った女の子には何が起きますか。

ようやく報われるのです。ようやく犬死にじゃなかったことがようやくわかるのです。

僕たちが元気な姿で自決壕に行けば、僕たちを触って、まだ恋の知らずに死んでいったけれど、自分たちのおかげでこうやって命がつながっていて、日本は蘇っているんだということが少女たちが分かっていただける。

硫黄島も地下壕のおかげで36日間持ちこたえたのです。僕は硫黄島に行った後に、ワシントンに行って記録を調べたら、アメリカ軍は5日間で落とす予定だった。

あえて単純計算ですけれど、引いた31日分爆撃が遅れて、それで生まれたのが、私たちです。

それを思えば、先の戦争で何があったのか、それを教育で考え、硫黄島を立ち入り禁止ではなくて、修学旅行の場や社会人の教育の場として、そうして私たちの70年前の歴史をもう1度丁寧に積み上げていけば、慰安婦問題とかそういう不愉快な問題も自然と後に引いて行く。

そういうことを一般企業ではできませんから、それをやるのも実は政治の役割なのです。

そうやって正しい誇りを取り戻していくことが、例えば日本は資源のない、戦争に負けた国だからしょうがないという気持ちが乗り越えられて、

僕たちは2004年から日本海から取り出しているメタンハイドレートをもっと普通の目で見てくれるようになって、これは使えるんじゃないかとみんなが思っていただくと、日本経済が今までの頭打ちになっているのが、資源産業がだいたい日本海からとれますから、過疎に苦しむ日本海側が今までの日本にはできなかった新しい資源産業が起こったら、

必ず首都圏にもその効果が及んでくるんです。私たちがすべきことというのはこのように根っこがつながっている。これをできるのもじつは政治しかないのです。

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硫黄島について②     柏駅での街頭演説。青山さん。

硫黄島の話の続きです。最後の方は珍しく選挙演説のようになっています。以下は青山さんのおっしゃったことです。

 

硫黄島が生きるヒントだと思ったから、僕は硫黄島から帰った翌日にわずかな生き残り、1033人だけ生き残った生き残りの方に金井啓さんという方に会いに行ったのです。

会いに行って6時間も話して、そして、帰ろうとしたら、金井さんが車に乗ろうとする僕の腕をつかんで、後ろから腕をつかんでおっしゃったのが、「青山さん、別れる前に一つだけ聞きたい。あなた自由に硫黄島を回ったんだってね。自分たち生き残りも、政府に制限されて、限られたところしか回れない。あなた自由に回ったのは本当ですか。」と言われて、

「そうです。防衛相自衛隊の良心派のおかげで、1日ですけど、自由に回りました。」と答えたら、その金井啓さんが言われたのは、「では、地下壕にドラム缶はありましたか。」と聞かれたのです。

その通り、どこの地下壕もドラム缶があって、下に穴は開いているけど、まっすぐ立っているんですよ。

僕は金井さんに「あの雨も降らない川もない暑い暑い硫黄島にたまに降るスコールをあのドラム缶にためて戦ったんですか」と聞いたら、

金井さんは、こうおっしゃりました。その通り。あのドラム缶にスコールの水をためて戦ったんだけど、すぐに人間の皮膚とか髪の毛とか肉が混じるんだよ。周りで人が吹き飛ばされるからね。しかし、先に死んでゆく友人が最後に水が欲しいというから、そのドラム缶から水を汲んで戦友の唇にあてると、どの戦友も唇が腫れ上がるんだよ。ドラム缶の中は熱湯だったんだ。地下壕の中は70℃どころか、夏は90℃を超えたんです。

ぼくはこないだ行ってきたんですけど、今度は夏でした。海上自衛隊が測ってくれたら92℃だったんです。

それですから、ドラム缶の中の水は熱湯になっていて、唇が腫れてそれが初めて分かった。自分たちは咽喉が焼けてもそれに気が付かなかった。「だからねえ青山さん、自分はたまたま生き残って帰ってきて、毎日毎日、南に向けて、この硫黄島のほうを向いて、冷たい氷水を作ってね、南に向けて捧げて、ただ祈ってきたんです。

それだけだけの60年でありました。」言われたんです。だから僕はこの硫黄島の氷水の話を第1次安倍政権で安倍さんが間もなく辞めるとき、松岡農水大臣が首つり自殺をした翌日に、たまたま総理官邸で安部さんに会った時に、安倍総理にこの話をしたら、安倍さんが怒ったんですよ。政権が危機の時に外交安保だけはちゃんとやろうと思って、専門家の青山さんにそのことを聞こうと思って会ったのに、なんで硫黄島の話ですか。

安倍さんは怒って部屋を出て行ったんですよ。ところがその後、野党時代があって安倍さんは再登板しました。

2012年の年末に再登板して、2013年の4月ごろに具合が悪くなったんです。いつもの潰瘍性大腸炎じゃなくて、あまりの心身の疲労から具合が悪くなった。2013年の4月の半ば頃です。

そして1日だけお休みをとって、東京富ヶ谷のお宅でゆっくりされることになったんです。そしたら、総理官邸のお役人から電話がかかってきて、「青山さん、あなた安倍総理に何か言ったんですか。総理は休みができたから硫黄島に行くと言っている。もう4月の硫黄島は暑い暑い。具合が悪い安倍さんが行くとまた政権がおかしくなる。何を言ったんですか。」と言われましたので、僕は慌てて、普段は電話だけなんですけど、総理官邸に行って、安倍さんと会ったら、マスコミがいないところでは顔をあげられないくらい疲れているんですよ。だから総理に1日休んでください。なぜ硫黄島に行くんですか。と言ったら、

「青山さん、あなた忘れたのか。松岡農水大臣が首を吊った翌日に、俺に硫黄島の話をしたじゃないか。」あの後野党になって時間ができたから、あなたの言ったことが本当なのかどうかということをずっと調べて来たら、どんな誇張もなくて全部本当だったと。政治の役割はこういうこともあるんだと。それをやらなかったから第1次安倍政権はむしろ潰れたんで、それをやるためにも再登板したんだと言われて、

総理は硫黄島に行かれて、滑走路に土下座されたんです。テレビ局は訳が分からなくて、安倍さんはブツブツ何か言っていたと。まるで右翼の何かみたいに放送したけど、本当は安倍さんは僕が申しあげた通り、滑走路に土下座をして、この下にいる皆さんを必ず取り返すとおっしゃってたんですよ。

安倍さんと僕は意見の合わない点はたくさんある。消費増税は延期じゃダメ。最低限凍結しなくちゃ。日韓合意も反対です。外国人の労働者受け入れ拡大も反対です。

いったん来てもらった外国人労働者はあっという間に人工知能とロボットでいらなくなるんですよ。いらなくなった時に中国に押し返すんですか。そんなことできませんね。

今安倍さんがやろうとしていること。たくさん反対はあるんですけど、あの安部さんが具合が悪い時にあえて硫黄島にいったこと。そのことは、私たちの考え方の根っことして実は一致できる点なんです。

実際に第2次安倍政権になってから、全然報道されないから誰も知らないけど、硫黄島のご遺骨を滑走路の下、自衛隊機が踏みつけにしてしまうところからも、島中からも、1万1千人のご遺骨を取り返そうということをかろうじて進めていて、

1番聞いていただきたいのは、硫黄島の英霊の方がご遺骨になってこの柏に帰ってきたら何が起きますか。

子供たちに話ができますね。いじめられている子は。いじめている数人と、いじめられている自分との、小さな私の世界しか見えなくなるから追い詰められて死を選ぶんです。

しかし、いじめはいつの時代にもあるけれど、その時代を乗り越えたら人のために生きられる。公のために生きられる。新しい広い人生が待っていると思ったら、死を選ばない子供も出てくるんです。

ご遺骨を取り返すというのは戦争の思い出話をするんじゃない。戦争を美化するんじゃない。

私たちの日本人の生き方というのはそうやって自分のためでなく、人のために生きるというのにあって、そのみんなが一つになれる目標を持ったら、いま政治がいつも争っていて、憲法のことでも税金のことでも、とにかくケンカばっかりしているのが、やっと一つになれるところが見つかる。

例えば本当はそれが硫黄島の英霊の方々が、ご遺骨が我々に教えてくれることではないでしょうか。

そしてこの硫黄島のご遺骨の収集は安倍さんがいくら頑張ろうとしてもなかなか役所が動いてくれなかったり、たくさんの障害が起こっているのです。

僕はもし、国会に行ったら硫黄島のことをもう一度取り組みます。

そして例えばメタンハイドレートを実用化して日本にはできないはずだった新しい自然産業を興したい。日本の農業を輸出産業に大転換して、世界が待っている世界で一番おいしい農産物を世界に安くお分けして、日本の農業が誇りを取り戻す。

そういうことと、まったく同じように、この硫黄島の遺骨の方々に帰っていただくこともやりたいと思っているんです。

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硫黄島について。   柏駅での街頭演説。青山繁晴さん。

クリントイーストウッド映画監督が、硫黄島を舞台にして映画を作った時に、アメリカのテレビ番組の生放送で、もう一本同じ映画を作ったと言いました。

生放送のインタビュアーが、同じ硫黄島の戦いを舞台にして、なぜもう1本同じ映画を作ったのですかと聞いたら、クリントイーストウッドがこう答えました。

硫黄島の戦いで本当のヒーローはだったのは、アメリカ軍の兵隊だけじゃない。日本の兵隊もあるいは日本の兵隊こそ本当のヒーローだった。

だから2本目は日本人の視点で作ったんですよ。と言われました。

僕は、アメリカのワシントンでその番組を見て、びっくりしました。というのは硫黄島は立ち入り禁止で、硫黄島の戦いの後に続いた沖縄戦と違って、誰も僕らが確かめられない。

アメリカの見方で映画を作るのは勝手ですけど、日本人の見方で作って、それがもし間違っていたら、子供たちに間違ったことが伝わりますから、僕は大変だと思って日本に帰って防衛庁に交渉して、2か月半かかって、ようやく防衛庁の自衛隊の中の良心派の人達に支えられて、ようやく立ち入り禁止の島に、民間人としては初めて1日自由に入ったのです。

硫黄島に僕の乗った小さな飛行機が着いたとき、飛行機から降りる時に、足が固まって動かないのです。

どうしてかというと、僕が足を下ろしたら、僕の足の下で私たちのために亡くなった人たちの顔や胸を踏みつけにすることになります。

どうしても足を下ろせなかったんです。パイロットに背中を押されて降りて、滑走路に土下座をして、この下にいらっしゃる皆様方、必ずこの島に来た以上は、いつか国民の方々にこのことをお伝えして、皆さんを故郷に取り返しますという約束をしたのです。

その後、島に入って行こうとしたときに、後ろに黒いジープがいて、走ってみたら、若い海上自衛官と防衛庁の幹部が3人乗っていて、僕がお疲れ様ですと言ったら目をそらしたのです。

つまり見られてはいけないものを僕が見るから、後をつけて尾行しようとしてたのです。

でもその3人は任務ですから、僕は何も言わずに島の中に入って行ったのです。島の中に入って行って、地下壕の中に入りました。

地下壕が硫黄島の命なのです。なぜかというと映画で渡辺謙さんが演じたのが帝国陸軍の栗林忠道さんという中将です。

この栗林中将が実際に硫黄島に入ったときに最初に何をされたかというといきなり2万1千人の日本の兵隊、そのうち2万人は普通の人です。

そこで2つのことを禁じられたのです。

1つ、自決してはならぬ。1つ、万歳突撃をしてはならぬ。

というのは硫黄島は暑くて、地下壕野中は、冬に入ったときに70℃を超えていたのです。

そこで戦うのは苦しくて、みんな最後は自決、今の言葉で言うと自殺するのが楽しみで生きていた。それから万歳!と言って突撃すると敵がすぐ撃ってくれるから楽に死ねる。

その2つだけを楽しみにしていたのに、一番最後にやってきた将軍がそれを禁じたから、反乱が起きそうになったのです。

映画には出て来ません。アメリカ人の作った映画ではこれはわからないのです。

栗林中将は実際何をなさったかというと、その2万1千人の中に入って行って、一人一人、二等兵ともお話になって、何と言われたかというと、

「お前らは正しい。私達は誰もこの島からは帰れない。故郷で待っている家族のところには帰れない。必ず死ぬ。

しかし、死ぬ前に穴を掘ろう。穴を掘って立てこもって、アメリカ軍が硫黄島を占領して、その南の島を使って、好きなように日本本土を爆撃する。それを遅らせよう。

もしも、1日遅らせたら、1日分本土で、女性と子供が生き残って、きっと日本は、祖国は甦る。2日引き延ばせば、2日分、女性と子供が生き残って、日本は甦る。だから穴を掘ろうと。」

2万1千人におっしゃって、そして僕達は軍国主義だったと教わってきたけど、本当は普通のサラリーマンや学校の先生が2万人ですから、いろんな考え方があったんですよ。

でも栗林さんのおっしゃったことをみんな聞いて、それで納得して、穴を掘り始めたのです。

硫黄島は観光地じゃない。それも立ち入り禁止ですから、僕が探したら、当時のまま残っていて、探したら、おもちゃのトンカチのようなものを見つけたんですけど、それがある人はまだ良くて、スコップも何もないですから、みんな爪で掘ったんですよ。

爪で掘った地下壕に入ると、なんと山が吹き飛ぶような爆撃を受けた硫黄島なのに、ほとんど壊れていないのです。

真っ暗の中で大きなライトで照らして、確認して、後ろを向けたら自衛官と防衛省の人が尾行していて、その顔を照らして僕が言ったのは、

「みなさんこれを見ましたか。生半可な努力でこれは掘れない。

それだけじゃなくて、一番大切なことは2万1千人のうち、たった一人でも自分のために掘った人はいましたか」と。

自分のために掘った人は一人もいなくて、しかも自分のご家族だけではなくて、まだ見ない、決して会うことのない将来の国民のために穴を掘ったんです。

その将来の国民というのは私たちのことじゃないですか。じゃあ私たちはいったい何をしているんですか。

いじめられた子が自殺をし、親が子を殺め、子が親を殺め、そんな国になり果てましたと、この地下壕の中に今も取り残されている人たちに僕らは何を言えるのですかと。

ということを自衛官を防衛省の人に言って、もう暑くて暑くて、僕は外に出て行ったら、真っ暗な砂浜なのです。

アメリカ軍の側の首や内臓が一番転がっていたと言われる砂浜は、なぜか今も砂が真っ黒なのです。

風が強くて髪を逆立ててそこに立っていたら、気が付いたら若い自衛官が近づいてきていて、こうおっしゃったんです。

「青山さん今日一日、あなたを後からつけてわかったことがあります。自分たちはこの硫黄島に赴任しています。お昼ご飯を食べていると、ふつうに海軍の軍人の方があるいは陸軍の軍人の方が横で昼飯を食っている。これは幽霊だから見ないようにしようと思って、みんなでそうしてきたんです。

しかし今わかりました。本当はただの幽霊じゃなくて、『おい、今の日本はきっといい国になってるんだろうな?どんな国になっているか教えてくれ』 そうおっしゃっているのが青山さんといっしょに地下壕を回って初めてわかったんです。」

と言ったのです。その時に僕が思ったのは、硫黄島というのは僕たちの生きるヒントだと思ったんです。

何のために勉強するのか。何のために仕事をするのか。どんなにうまくやっても、100年経ったら死ぬだけです。

しかし、自分のために生きたらむなしいけれど、人のために生きたら、命がつながっていって、初めて何のために勉強して、働くのか、わかるのではないでしょうか。

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