硫黄島について。   柏駅での街頭演説。青山繁晴さん。

クリントイーストウッド映画監督が、硫黄島を舞台にして映画を作った時に、アメリカのテレビ番組の生放送で、もう一本同じ映画を作ったと言いました。

生放送のインタビュアーが、同じ硫黄島の戦いを舞台にして、なぜもう1本同じ映画を作ったのですかと聞いたら、クリントイーストウッドがこう答えました。

硫黄島の戦いで本当のヒーローはだったのは、アメリカ軍の兵隊だけじゃない。日本の兵隊もあるいは日本の兵隊こそ本当のヒーローだった。

だから2本目は日本人の視点で作ったんですよ。と言われました。

僕は、アメリカのワシントンでその番組を見て、びっくりしました。というのは硫黄島は立ち入り禁止で、硫黄島の戦いの後に続いた沖縄戦と違って、誰も僕らが確かめられない。

アメリカの見方で映画を作るのは勝手ですけど、日本人の見方で作って、それがもし間違っていたら、子供たちに間違ったことが伝わりますから、僕は大変だと思って日本に帰って防衛庁に交渉して、2か月半かかって、ようやく防衛庁の自衛隊の中の良心派の人達に支えられて、ようやく立ち入り禁止の島に、民間人としては初めて1日自由に入ったのです。

硫黄島に僕の乗った小さな飛行機が着いたとき、飛行機から降りる時に、足が固まって動かないのです。

どうしてかというと、僕が足を下ろしたら、僕の足の下で私たちのために亡くなった人たちの顔や胸を踏みつけにすることになります。

どうしても足を下ろせなかったんです。パイロットに背中を押されて降りて、滑走路に土下座をして、この下にいらっしゃる皆様方、必ずこの島に来た以上は、いつか国民の方々にこのことをお伝えして、皆さんを故郷に取り返しますという約束をしたのです。

その後、島に入って行こうとしたときに、後ろに黒いジープがいて、走ってみたら、若い海上自衛官と防衛庁の幹部が3人乗っていて、僕がお疲れ様ですと言ったら目をそらしたのです。

つまり見られてはいけないものを僕が見るから、後をつけて尾行しようとしてたのです。

でもその3人は任務ですから、僕は何も言わずに島の中に入って行ったのです。島の中に入って行って、地下壕の中に入りました。

地下壕が硫黄島の命なのです。なぜかというと映画で渡辺謙さんが演じたのが帝国陸軍の栗林忠道さんという中将です。

この栗林中将が実際に硫黄島に入ったときに最初に何をされたかというといきなり2万1千人の日本の兵隊、そのうち2万人は普通の人です。

そこで2つのことを禁じられたのです。

1つ、自決してはならぬ。1つ、万歳突撃をしてはならぬ。

というのは硫黄島は暑くて、地下壕野中は、冬に入ったときに70℃を超えていたのです。

そこで戦うのは苦しくて、みんな最後は自決、今の言葉で言うと自殺するのが楽しみで生きていた。それから万歳!と言って突撃すると敵がすぐ撃ってくれるから楽に死ねる。

その2つだけを楽しみにしていたのに、一番最後にやってきた将軍がそれを禁じたから、反乱が起きそうになったのです。

映画には出て来ません。アメリカ人の作った映画ではこれはわからないのです。

栗林中将は実際何をなさったかというと、その2万1千人の中に入って行って、一人一人、二等兵ともお話になって、何と言われたかというと、

「お前らは正しい。私達は誰もこの島からは帰れない。故郷で待っている家族のところには帰れない。必ず死ぬ。

しかし、死ぬ前に穴を掘ろう。穴を掘って立てこもって、アメリカ軍が硫黄島を占領して、その南の島を使って、好きなように日本本土を爆撃する。それを遅らせよう。

もしも、1日遅らせたら、1日分本土で、女性と子供が生き残って、きっと日本は、祖国は甦る。2日引き延ばせば、2日分、女性と子供が生き残って、日本は甦る。だから穴を掘ろうと。」

2万1千人におっしゃって、そして僕達は軍国主義だったと教わってきたけど、本当は普通のサラリーマンや学校の先生が2万人ですから、いろんな考え方があったんですよ。

でも栗林さんのおっしゃったことをみんな聞いて、それで納得して、穴を掘り始めたのです。

硫黄島は観光地じゃない。それも立ち入り禁止ですから、僕が探したら、当時のまま残っていて、探したら、おもちゃのトンカチのようなものを見つけたんですけど、それがある人はまだ良くて、スコップも何もないですから、みんな爪で掘ったんですよ。

爪で掘った地下壕に入ると、なんと山が吹き飛ぶような爆撃を受けた硫黄島なのに、ほとんど壊れていないのです。

真っ暗の中で大きなライトで照らして、確認して、後ろを向けたら自衛官と防衛省の人が尾行していて、その顔を照らして僕が言ったのは、

「みなさんこれを見ましたか。生半可な努力でこれは掘れない。

それだけじゃなくて、一番大切なことは2万1千人のうち、たった一人でも自分のために掘った人はいましたか」と。

自分のために掘った人は一人もいなくて、しかも自分のご家族だけではなくて、まだ見ない、決して会うことのない将来の国民のために穴を掘ったんです。

その将来の国民というのは私たちのことじゃないですか。じゃあ私たちはいったい何をしているんですか。

いじめられた子が自殺をし、親が子を殺め、子が親を殺め、そんな国になり果てましたと、この地下壕の中に今も取り残されている人たちに僕らは何を言えるのですかと。

ということを自衛官を防衛省の人に言って、もう暑くて暑くて、僕は外に出て行ったら、真っ暗な砂浜なのです。

アメリカ軍の側の首や内臓が一番転がっていたと言われる砂浜は、なぜか今も砂が真っ黒なのです。

風が強くて髪を逆立ててそこに立っていたら、気が付いたら若い自衛官が近づいてきていて、こうおっしゃったんです。

「青山さん今日一日、あなたを後からつけてわかったことがあります。自分たちはこの硫黄島に赴任しています。お昼ご飯を食べていると、ふつうに海軍の軍人の方があるいは陸軍の軍人の方が横で昼飯を食っている。これは幽霊だから見ないようにしようと思って、みんなでそうしてきたんです。

しかし今わかりました。本当はただの幽霊じゃなくて、『おい、今の日本はきっといい国になってるんだろうな?どんな国になっているか教えてくれ』 そうおっしゃっているのが青山さんといっしょに地下壕を回って初めてわかったんです。」

と言ったのです。その時に僕が思ったのは、硫黄島というのは僕たちの生きるヒントだと思ったんです。

何のために勉強するのか。何のために仕事をするのか。どんなにうまくやっても、100年経ったら死ぬだけです。

しかし、自分のために生きたらむなしいけれど、人のために生きたら、命がつながっていって、初めて何のために勉強して、働くのか、わかるのではないでしょうか。

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