天皇皇后両陛下の熊本御訪問 虎ノ門ニュース12日青山さん2

熊本へ天皇陛下御夫妻が1日も早く赴きたいという気持ちを示されていらっしゃって、なぜあとになったかというと、そこには、ちゃんと内閣総理大臣がきちんと視察なさってから、その後にご行幸啓なさるという信念がうかがえます。これはとても大事なことです。日本の天皇陛下の御存在というものはどれだけバランスのとれた公正なものかということを新聞などの記事として示されなければいけません。

21年前の阪神淡路大震災、5年経った東日本大震災、そして今回の熊本地震はいずれも両陛下が行幸啓なさって今回もお膝を屈せられて、被災者と目を合わされてお話になさることでしょう。その振る舞いが20年を超えてもお変わりにならない。変わらないということはどれほど重大なことかと。つまり、どんどん年齢を重ねられます。両陛下も人間でいらっしゃいますので、体の不調もいささかもお出しにならず、全く変わらずに日程をこなされ、しかも日帰りでお帰りになるというのは、大変なご負担と思われますが、被災地にとどまることによって、たくさんの人間に赴かなければいけないことを、よくお考えになって、日帰りでお帰りになるということです。あくまでも、ご自分よりも国民、庶民、他の人間を大事になさるというのが、我々日本人、日本の国柄、日本国の哲学。世界中の皇帝陛下や王様は自分の欲望を満たしてきましたが、全く真逆のお振る舞いです。

安倍さんは両陛下の前に被災地に入られましたが、その姿は、以前の総理大臣と全く違います。阪神淡路大震災の時は村山富市総理が突っ立って上から見下ろして歩いて、神戸生まれの私が総理官邸の記者クラブにいることを知ってる人がたくさんいたので、電話も含めていただいて、神戸の人は割と陽気な人が多いのですが、その時ばかりはみんな目が吊り上がった感じで、みんな村山総理に言ってくれと。偉そうにしやがって何も手につかないと。それで官邸にいた私は責任として村山総理に直接聞いたら、「すまんのう。役人がはよ行け言うもんじゃからのう。」と。役人に言われたから被災者を見下ろして突っ立って歩くというのは正直な反省であっても、日本の政治の実態を表しています。それに対する何の反省もない民主党の菅総理は東日本大震災の時に、また役人の言う通り、突っ立って見下ろして歩いて、今度は偶然テレビカメラに穏やかな東北の人が怒ったところがテレビに映りました。

それに対し、安倍さんはどうだったでしょうか。膝を屈して一生懸命話を聞き、目を見てやってらっしゃいました。役人は全く変わっていません。総理官邸の記者クラブのアクセス権を持った記者クラブが気が付いてないわけがない。安倍総理に対して役人たちは21年前と変わらず、「日程もあり、警備上の問題もあるからこういう風に行ってください。」と言うのを安倍さんが自分で断って、オバマさんを断ってプーチンと会ったり、外務省とは別途オバマさん訪問が実現したりと、いわば同じ面はあれど、膝を屈し、目を合わせて、少なくとも阪神淡路大震災より今まで、初めての総理の振る舞いです。

ようやく天皇陛下の御心をちゃんといただいて、被災者の国民の目線で膝を屈ることができる総理が現れたのです。

なぜ報道されないのでしょうか。いつも独裁や戦争というイメージを作るので、あの全然足りない安保法制がまるで誇大妄想教のように膨らんで語られていて、こうれを報道と言えるのでしょうか。まだフランスのルモンドとかアメリカのニューヨークタイムスのように「うちはこう偏っているんだ。うちはこの主張でいくんだ。」と大々的に言っているならともかく、日本では報道とは厳正中立、公平なものです。客観的にものを言っていますとしています。特にテレビ局の人にあきれるのはカメラで安倍さんを間近にとらえていて、カメラマンは気が付くはずです。普通、総理は急いで立って歩くものですが、これをいちいち膝を屈していて、役人は「これだと一部の人間に偏ります。総理大臣たるもの公平にたくさん見るのが仕事でしょう。」と言うのが普通です。今回も言いました。知っている官邸の報道者が報道しないのもそうだし、カメラで阿部さんの動きをとらえているテレビ局はなぜ一言二言でも公平に言わないのでしょうか。批判したいところも褒めるところも両方事実なので、よいところは一切報道しない。これでどうやって子供が国を愛するのでしょうか。

こういうゆがみを変えていかないと天皇陛下の御心に対して申し訳ないと思うし、先の大戦も含めて、先輩の方々に合わせる顔がない気がします。

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