熊本地震の教訓と我々の共通認識 虎ノ門ニュース青山さん4月21日

神戸の震災から21年が経ちました。その時は6千人以上の犠牲者が出ましたが、その中には人災もありました。自衛隊が現地入りしようとした際、「戦争の自衛隊は来るな」と拒まれたのです。このような人災を防ぐことができれば救える命も増えたはずです。人災は戦争やテロだけではありません。人の命を奪う人災は防がなければいけません。今回の熊本地震では犠牲者が100人行くとは考えられません。世界からの日本の見方としては日本は神戸の震災の6千人以上の犠牲者から21年間の間に学んで、前進したため、今回は100人未満というふうに進歩している。日本は世界から日本に学ぶべきだと考えられています。危機管理の一番大事なところは犠牲者をゼロにすることではありません。緩和させることです。そのためには人間のできる範囲でしかも生活の自由とか防災とか治安の名目で市民生活を縛るものではなくて、みんなが好きに暮らしていく中で共通項を探していくことです。日本はそれに成功していると世界は見ています。また、ある外国人は日本は奇跡の国であると言っています。例えばデパートは熊本に行っても、神戸に行っても、東京とあまり違いがありません。街並みもきれいで治安もよく防犯体制も整っています。北海道から沖縄まで丁寧に協力し合い国を作っています。それなのに日本はダメだダメだとメディアは口を揃えて言っています。外国人からするととても不思議がられる点です。世界は日本から学ぼうという機運が高まっているのです。

本来教育とは横並びしてみんな同じに並ばせることは教育とは言いません。どんなに指をさされようがやるべきことをやる言うべきことを言う人間を育てるのが教育です。江戸期までできていたから坂本龍馬や高杉晋作が出てきたのです。世界は福島の原子力災害で1人も亡くなった人がいない、それどころか放射線障害で治療を受けた人もいない。何て日本はすごい国なんだ。という話が5年経った今も世界で語り継がれています。しかし日本で取り上げることはしません。復興の手がかりは実はそこにあります。日本はダメだと言ってどうやって復興するのか。福島は汚れていると言ってどうやって復興するのか。世界は日本を手本とし、どうやって震災の緩和ができたのか注目し、研究しています。

熊本地震で誰かを悪者にしてはいけません。気象庁が悪い、東大が悪いという話ではなく、ずっと被害者の沖縄県民と加害者の本土の国民が敗戦後分断されてきたのです。それを克服すしようというのが願いです。悪者を作ればそれを遠ざけてしまいます。悪者を作ってそこを叩いていくというのが誰の中にもあり、人間の性です。そこを克服しようというのが前提です。今回気象庁が2回目の大きな揺れのあとに1度目の地震が前震であると言いました。国民の神経を逆なでするものです。人の命に直接かかわるものでもありました。東京大学の地震研はかなりの国費を使っています。それは国民の税金なのです。しかし人を救うためという考えがありません。何のために学者になったか。人の役に立つためというのが本来の在り方です。自分の個性を世の中に還元して、人のために生きて、自分が死んだあと次の世代となっていくそれしか命の値打ちはないという教育を受けていれば、少なくとも言葉の問題(前震・本震)でそれにこだわる方がおかしいなどと言うことができないはずです。国費を使っている人たちは人のために自分の命をすりへしてでもどんなに非難されても本当のことを言わなければいけません。元々命に目的はなく、次の命に役立つことだけが魂の願いなのです。

人間の生き方として考えてほしいのは何のために地震学を選んでいるのか。予知をできないと言われていても予知をじりじりと前進していって、最初は5秒前の警告だったけど、それを1時間にし、伸ばしていって、予想がはずれてお金が無駄になったと非難されることを承知の上で、可能性が膨らんでいます。ということを失敗がはるかに多くなっても長い学者生活の中で、あるいは自分の生活で1度も起きなくても例えば4世代、5世代先でも見られれば、それでも人を救います。人を救うことを目指して学者になっていると思っているのに社会人になって社会の現実とぶつかってみると、地震学の先生だけがゆがんでるわけではないのですが、残念ながら敗戦後の日本は特に人のために生きる、公のために生きるという肝心なところが飛んでしまっていて、社会の中でどうやって生きていくかが優先されている。偏差値に流されて医者になる人もいます。しかし、そんな中であってもOn-the-Job Training、オン・ザ・ジョブ・トレーニングということばがあります。仕事をしながら自分を磨いていく。そうすると地震学の先生だったら被災地を回って被災者の苦しみを見たら最初のきっかけはどうであれ本当は人のため世の中のためだと思ったらリスクを考えるよりも熊本は危ない、神戸は危ない、東北も沖合は危険でスマトラ沖地震も他人ごとではないということをたとえ地位を追われようともやるというのが本当の務めなのです。

私たち社会全体の姿勢としてそこが欠落しているといかなる高等教育を行っても欠落したままの人間が育ち、欠落したままの社会になります。それが仮にたった一人の命であっても守らなければなりません。もう地震は小さくなるものだと信じて家に帰って亡くなられたり、自宅の前に止めていた軽自動車の中でエコノミー症候群で亡くなられるということが起こってしまいました。世界か見たらたった50人程度に抑えられて日本は奇跡だと言われている声もありますが同時に私たちの魂の在り方として今回の熊本のことを教訓にしたいというのが我々の共通認識ではないでしょうか。

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